古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【25】

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―「神話部分」を読む ― 伊邪那伎命と伊邪那美命 ⑤

若いイザナギとイザナミは、本能のおもむくままに求め合ったことで正常な子供を生むことが出来ませんでした。でもこれは、肉体的に未熟な若者からは正常な子供が生まれないと決めつけている訳ではないと思います。確率的に多いというだけで、健康な子供が生まれることもあったはずです。

古事記の冒頭にこのようなエピソードを入れているのは、「日本列島を生むという神聖な行為だから、全ての手順がきちんとしていた」ということを記録として残したのではないでしょうか。
ところがその手順があった訳ではないのです。それが次のように書いてあります。

『ここに二柱の神、議(はか)りて云ひけらく、「今吾(あ)が生める子良からず。なほ天つ神の御所(みもと)に白(まを)すべし」といひて、すなはち共に参上(まひのぼ)りて、天つ神の命(みこと)を請(こ)ひき。ここに天つ神の命もちて、太占(ふとまに)にト相(うらな)ひて、詔りたまひしく、「女(おみな)先(さき)に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ。」』とのりたまひき。

「正常な子供が生めなかった。天つ神に相談しよう」と言って二人で出かけます。
最初の神が現れる所で書きましたが、イザナギとイザナミも天つ神です。
ところがここではそうではないような書き方になっています。

彼らがいるのは高天原ではなくオノゴロ島です。どうやらこのあたりから、高天原の命令で作った地(=日本列島)は格の低い所だと規定しているようなのです。
ですから地上にいるイザナギ・イザナミも格の高い高天原に参上(まいのぼ)らなければならないのです。これは同時に、高天原にいる神は指導的立場なのだともしている訳です。ところが、高天原の指導的立場の神でも、正常でない子供が生まれた原因が分からなかったのです。そこで『太占(ふとまに)にト相(うらな)ひて』となります。
『太占』とは、鹿の肩の骨を桜の皮で焼いてヒビの入り具合で吉凶を判断する古代の占いです。この占いによって下された結論が「女が先に声をかけたことが間違い」ということになったのです。

このエピソードが紹介されている理由は、「正統な夫婦による正統な子供を生む行為の手順は、高天原の神ではなく天の判断である」という『儀式の絶対性の証明』ではないでしょうか。これは、「儀式が間違いなく行われていれば、その後のことは全て正統性を持つ」ということの伏線です。
イザナギ・イザナミは再びオノゴロ島に降りて正しい手順通りに床入りをし、日本列島を生むことになります。

・・・つづく

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