古事記おじさんの『21世紀の視点で古事記を読む』【16】

―「神話部分」を読む ― 寄り道 ①

『古事記』は、高天原族の子孫である天皇家が『日本の正統な統率家』であることを証明する書として天地創造期からの経緯を記しています。

編纂を発案したのは40代天皇の天武ですから、紀元600年代のことです。

『古事記』以前に『天皇記』『国記』という書物があったようです。
題名から『天皇記』は天皇族(=高天原族)の歴史、『国記』はその他の部族の歴史を記したもののように思えます。

しかし蘇我氏滅亡の際に焼失したとされていますから、その内容は分かりません。
『国記』について、日本書紀では「燃え盛る火の中から運び出されて中大兄(なかのおおえ=天智天皇)に届けられた」とされていますが、どの程度の量でどのような内容であったかの記述はありません。

とはいえ当時、過去のことに関する様々な情報(記録?・伝承)があったようですから、天武が「歴史書を作ろう」と言い出した頃には、天皇家(高天原族)の歴史をある程度遡ることはできたでしょう。

問題はどこまで正確に遡れたかです。
日本書紀による神武から桓武まで50代の天皇の在位期間の平均は29年です。
この平均年数は、11代垂仁の141年や6代孝安の101年という有り得ない年数を含んだものですから、実際はもっと短かったのではないでしょうか。

参考までに、天武の在位期間13年を平均として計算しますと、初代天皇の即位は天武より507年(13年×39代)前(天武の即位が673年ですから673-507=166年)ということになります。
この遡り期間を現在にあてはめますと、2015年から500年強遡った1500年頃、つまり応仁の乱が終わって下剋上の世になり、全国各地で国一揆や一向一揆が頻発していた戦国時代です。その頃のことに関しては、勝者側・敗者側による文字や絵による記録がたくさんあります。それでも本当の姿がどうであったのかは、よく分かりません。

初代神武天皇の時代には文字がありませんでしたから、過去の情報は各地・各部族の伝承だけです。人間の営みがあったことは間違いないのですが、当時の情報伝達方法から考えますと、初代天皇の頃のこともそれ以前のことも曖昧なものだったはずです。

『古事記』の編者は、曖昧な伝承を「天皇族(=高天原族)の祖先(祖神)を、各部族の祖先(祖神)の上位に置く」ことで確定させて、天皇家の統率者としての正統性の証明としたのでしょう。

ここで注意しておかなければならない点は、日本列島に住む各部族が「人間の力の及ばない自然界があり、そこに住む各部族の祖先をそれぞれ『神』とし、『神』は自然界と交信できる」という「自然上位・多神」発想を共有していたことです。

・・・つづく 

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