もしも古事記の神々が人間だったら・・・【39】

ナガスネヒコ≪その三≫

神武が征服しようとした時期の奈良盆地の統率者が、ナガスネヒコと称される人物だったのでしょう。
このナガスネヒコと古代出雲の関係は『古事記外伝―イズモ・クロニクル―』に書いています。
あの作品で、スサノヲは「イズモ」という小さな地域ではなく西日本全体に「共生」関係を広げようとしたが、「奈良盆地(トミ)」はスサノヲを支持するが参加はしなかった。そしてナガスネヒコは、スサノヲが師と仰ぐ人物であった」と書きました。その理由は、先に述べましたように「ナガスネヒコが統率する奈良盆地は、古代日本列島内に独自の世界を創り上げていた」と考えたからです。

スサノヲにとってナガスネヒコは、師であると同時によき理解者・支持者であったと考えられます。つまりナガスネヒコがスサノヲの後見人のような立場になったのです。
単独でも知力・資力・軍事力に優れている上に強力な後見人がついたのですから、「スサノヲの向かうところ敵なし」状態になって当然です。ですからスサノヲの創り上げた連合体は、ナガスネヒコのお陰とも言えます。

連合体の本拠地イズモを征した高天原(日向)族は、イズモ族が最も親密な感情を抱き、絶対に刃を向けない部族に挑みかかったのです。高天原族は、この部族を征さない限り頂点に立てないことを承知していたのでしょう。

しかし古事記は、ナガスネヒコ本人を殺したとは書いていません。久米歌で、彼を臭気の強いニラに例えて「芽と根を一緒に引き抜くように、数珠つなぎにして討ち取ってしまおう」と表現しているだけです。

実は、彼は東方つまり蝦夷(えみし)の地に逃げ延びたとする説があります。彼自身かどうかは分かりませんが、一族の一部が山を越えて逃げた可能性は十分にあります。

当時、神武(高天原族)は西日本に現れた単なる征服者です。蝦夷は、高天原族が自分達の地にも侵攻してくるだろうと考えたはずです。それに備えるためにも逃げ延びた者達の情報が必要ですから、積極的に受け入れたのではないでしょうか。しかもナガスネヒコは、征服者をさんざん手こずらせた勇者ですから、一族は手厚いもてなしを受け住む場所も与えられたはずです。

・・・つづく

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