もしも古事記の神々が人間だったら・・・【13】

スサノヲ≪その五≫

スサノヲ

オロチエリア、古事記にそれがどこからどこまでとは書かれていません。
オロチの説明として「体がひとつなのに八つの頭と八本の尾があり、大きさは八つの谷と八つの丘に及んでいる」とあります。
この表現を現実的に考えれば、ひとつの胴体に八つの頭と八本の尾を持つ巨大な蛇などではなく、中国山地日本海側の高原地帯から流れ出る二本の川の間の地域を八人のボスグループで分割支配していた一族がいたということではないでしょうか。
戦国時代風に言えば、ある地域を親戚筋となる八人の侍大将で支配していた。
もっと分かり易く現在の暴力団で言えば、組織暴力団を、杯を交わした八人の組長で運営するというようなものでしょう。

このような連中に、スサノヲはひとりで立ち向かったと古事記に書いてあるのです。
伝承から推測すると、ひとりではなかったようです。
でもスサノヲの仲間は、圧倒的に少ない数だったのでしょう。
大勢の敵に少数で戦いを挑むには、奇策を前提としたゲリラ戦法しかありません。
その象徴的な表現として「酒で酔わせ、斬り殺す」となったのではないでしょうか。

古事記のオロチ退治部分からは、スサノヲは「勇敢で作戦上手な武将」とのイメージが伝わってきます。
高天原ではどうしようもない悪ガキとして表現されていたスサノヲが、『国つ神』の住む地(=葦原中国)では「有能な武将」に変わっています。

スサノヲの、『高天原』を舞台とする時と『葦原中国』を舞台とする時の表現の違いは、何を意味するのでしょう?

この違いは、
【スサノヲに対する当時の世間の受け止め方は「オロチ退治」における姿が一般的であって、高天原での表現は「悪しき神」として後世に残そうとした創作だった】
と考えれば解決できます。

つまり、スサノヲは高天原族ではなかったが、高天原族が『国つ神』を支配するには、『国つ神』から慕われていたスサノヲが高天原族トップであるアマテラスの弟であったとすればスムーズに行くとの発想だったのではないでしょうか。

前々回・前回の部分を思い出してください、「ちゃんと仕事をすれば立派な王」とか「残虐非道な性格を持ちながら、それを押さえ込もうとしている」と理解できる書き方がありました。
これらの表現は、『国つ神』達が慕い敬うスサノヲを悪く書くだけだと反感を買い、『国つ神』支配が失敗することを恐れてのことだったのではないでしょうか。

さて、人間スサノヲはどのような人物だったのかに対する私の結論ですが、「高天原族が最も恐れる大王」です。
高天原族が西日本一帯を征しつつあった頃、つまりヤマト王権の姿が見え始めた頃にはスサノヲは亡くなっています。
ですからスサノヲと戦う訳ではありません。
新興勢力ヤマト王権よりスサノヲ王権を評価する声が多かったのではないでしょうか。
つまりヤマト王権は、スサノヲの遺徳を恐れたのです。
その具体的な存在は、スサノヲの娘であり大国主の妻であるスセリ姫でした。
ですからスサノヲ亡き後、アマテラスを中心とする高天原族が最も警戒したのは、スセリ姫だったのではないでしょうか。
その証拠と言えるかどうか分かりませんが、出雲の地にスセリ姫の足跡は全くと言っていいほどに残されていません。
具体的には『古事記外伝 ―イズモ・クロニクル―』をお読み下さい。

―スサノヲ編 完―

連載はまだまだ・・・つづく

 

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