今こそ古事記を読もう【15】

文武が15歳で天皇となったのは697年、持統は702年に亡くなったとされていますから、持統は約5年間、文武天皇をバックアップできたわけです。

持統が亡くなった時、文武はまだ20歳です。
その5年後、文武天皇は25歳で亡くなります。

祖父天武天皇以来の様々な軋轢と、祖母持統天皇により15歳という若さで天皇にされ、年齢・経験・態勢が整う前に祖母の後ろ盾を失った心労が、彼の寿命を縮めたのでしょう。

文武天皇には首(おびとの)皇子(後の聖武天皇)という息子がいましたが、まだ子供でした。母親は藤原不比等の娘である宮子です。

この時点で持統は既に亡くなっていますから、後継問題に発言力を持つのは、持統の妹で文武天皇の母親であるアベノヒメミコです。

彼女に権力に対する野心があったかどうかは分かりません。しかし、亡くなった息子・文武天皇の嫁は、力を付けてきた藤原不比等の娘です。

不比等は、天皇の祖父となるために娘を嫁がせたのでしょうから、孫である首皇子に皇位を継がせる道筋作りを考えたはずです。

そこで不比等は、孫が天皇にふさわしい状態になるまで他勢力が入り込まないよう、文武の母親アベノヒメミコを天皇とすべく動いたのではないでしょうか。

彼女も、直系の孫を天皇にしたかったはずです。アベノヒメミコと不比等の思惑が一致し、43代元明天皇が誕生したと思われます。

天智~聖武天皇系図
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・・・つづく

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