今こそ古事記を読もう【14】

後継者と目していた息子を亡くした持統天皇は、落胆したはずです。しかし彼女は、悲嘆で泣き暮らすようなナイーブな女性ではありません。

草壁皇子の息子、つまり彼女直系の孫である軽(かるの)皇子を42代文武(もんむ)天皇とします。弱冠15歳の天皇の誕生です。

この時、藤原不比等の娘宮子が嫁入りしています。
ここで藤原氏と皇室がつながります。

この文武の父親は天皇にならずして亡くなった草壁皇子ですが、母親はアベノヒメミコと言い、彼女の父親は天智天皇です。「えっ!!」という感じですね。

【10】でも述べましたが、草壁皇子の父親は天智天皇の弟の天武天皇で、母親は天智天皇の娘の持統です。

持統には大田皇女という同腹の姉がおり、彼女も天武の妻です。当時としては当然のことですが、天智天皇には別の女性との間の娘アベノヒメミコもいたのです。

つまり、持統とアベノヒメミコは、腹違いの姉妹です。

持統は、この腹違いの妹を、息子の草壁皇子の妻にしていたのです。ですから持統の孫である軽皇子の母親は、持統の妹ということです。

天智~聖武天皇系図
古事記おじさんのブログ-系図
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・・・つづく

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