大神山神社の秘伝【5】

それから七百年ばかりの間、相見家は、岡山県と鳥取県の県境地帯、つまり中国山地の分水嶺から北の地域で、目立たず滅びずの生き方をしたようです。

江戸時代初期、徳川直系である池田家に重用されたことは既に述べました。
過去に、権力にすり寄ることの危険を経験している「血」は、極めて臆病だったであろうと想像できます。

現在、大国主命は「国譲り」の最大貢献者として処遇されているように見えます。

大和朝廷成立時にもそのように遇されていたのであれば、大国主の息子であるアジスキタカヒコネの血筋は、その家系を隠す必要はなかったはずです。しかし現実には、血筋抹消を恐れて隠し続けてきたのです。

それに、結果を知る我々だから言えることなのかも知れませんが、相見家は平家・後醍醐天皇といった当時の新勢力に与しています。これは、出雲を乗っ取って成立した権力に対する怨念と恐怖が、そうさせたのではないでしょうか。

しかし二度の失敗に懲りて、最終勝者の分からない戦国の世では、家系存続に徹したと思われます。信長・秀吉が倒れ、家康が台頭したことにより覇権争いに終止符が打たれました。

備前岡山の最高権力家は、宇喜多→小早川→池田と変遷し、明治に至ります。つまり池田家が確立した段階になると、徳川の一時天下ではないとの確信が得られたのでしょう。

相見家は池田家の信任を背景として、鳥取県西部の経営に参画しています。それでも尚、その血統を隠し続けたのです。

…つづく

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