大神山神社の秘伝【4】

現在、鳥取県米子市の南に「南部町」という町があります。

これは近年、西伯町と会見(あいみ)町が合併してできた町ですが、会見町の前身は会見郡で、今の境港市も米子市もその一部でした。

つまり鳥取県西部の25%程度が会見郡だったのですが、その名のゆかりは「相見家」が統率する地域であったことによるようです。

では池田家に重用される前の相見家はどうだったのか?
中央から官吏として派遣されてきたのですが、トップとしてではありません。

歴代当主は、アジスキタカヒコネの血筋であることを秘匿しているのですから、血筋調べが行われるような役職に就くことは避けたはずです。目立たないように職務を果たしながら、ひたすら家系存続に努めたようです。

家系抹消とは、嫡男家だけではなく血筋の全てを消し去るということですから、全ての男は殺されるのだそうです。

時には名前を変え、住む場所も変えて血筋を維持してきたそうです。ですから系図に空白部分があるのだそうですが、それには相応の理由がありました。

血筋を隠蔽しながら生きてきた相見家ですが、何故か源平時代には、平氏に属しているのだそうです。一時は良かったのでしょうが、壇ノ浦での敗戦後、追われる身となり、名を変えて山陰の山奥に隠れ棲んでいたようです。

ところがそれから約百数十年後、今度は後醍醐天皇派に属します。これにより再度追われることになり、身を隠したようです。

その場所が現在の鳥取県西部の山間地、つまり日野郡・西伯郡の山奥だったと考えられます。

…つづく

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