大神山神社の秘伝【3】

相見宮司によりますと、アジスキタカヒコネの血を引く相見家の始祖は、奈良から当地へ官吏として赴任したようです。

伯耆の国府は倉吉にあったのですが、彼は西部地区の責任者のような立場だったようで、今で言う西伯郡地区の管理者だったと考えられます。

現在でも、鳥取県西部には相見姓が点在していますが、2代前の日南町長が相見姓に興味を持ち、家系を辿ったそうです。その時、日南町にある相見家の全てが「分家」であって、「本家」は「米子の方に出た」と聞かされたのだそうです。

そこで米子地区にある相見姓を辿った所、大神山宮司家に行き着いたのだそうです。しかしその時は、岡山の池田家に重用された家筋レベルの話で、古代にまでは話が及ばなかったそうです。

当時の相見宮司は、一子相伝の秘話を語る心境ではありませんでしたから、戦国時代の話でお茶を濁したようです。

池田家が相見家を重用した理由は分からないのですが、宮司は「池田家は、相見家の家系を薄々知っていたのではないか」と仰っていました。

単に武力の脅威で地域をまとめるのは簡単ですが、それは表面上です。ましてや下剋上直後の世ですから、地域に割拠する集団の意思統一を図るには、地域が認める「調停役」が必要です。

落語で、長屋のまとめ役として「近所のご隠居」が出てきますが、誰もが「あの人が言うのなら」と納得する存在です。

血気盛んな戦国の世に、この「ご隠居」役をこなせる家系は多くはなかったはずです。相見家は、この希少な家系であったのではないでしょうか。

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